2006年07月29日 11:56
俺は大和の国で生まれ大和の国で育った。だからあえて邦楽から始める!!
のっけはやはり我が師「新井英一」しかありえない。
師匠を始めて見たのは1984年のNEW YEAR ROCK FES’(ブラウン管)だった。師匠がその時唄った「狼の挽歌」の 他とは違う物凄いエネルギーに”何だこの人は!”と思い震えた。
それから毎年毎年(年末の)ROCK FES’で師匠が弾き語りで叫ぶ大地(命)の唄に「本物」を叩き込まれていく事になる(だが当時の俺はあくまでもギターリストであり師匠の言霊は聞くだけのみに留めていた)俺だった。
だがやがてそんな俺に転機が訪れる 1989年(11/6)優作さん死去 この時点で自分が唄う事を決意し(魔暖歌 結成)。ギターを鳴らし歌う、唄の難しさ 奥深さに悩みぬく日々が始まる。
そんな最中「1990年(11/4)渋谷ジャンジャン」で師匠が唄う事をピアの片隅で知り何かをつかめたら!とおもい憧れの師匠のライブへ始めて足を運んだ。
そこは悲しすぎる会場だったんだ、俺を入れて3人しかいなかった.....。でも師匠は深く頭を下げ”雨の中ありがとう”と最期まで唄い続けた!!ガラガラの会場でゆるぎなく魂を突き放つ本物の声に「嗚咽が止まらぬ程鳴いた」。BLUESがそこにあった。
そして俺は 師匠のライブに何度も何度も通い続け、同じ体験を重ね、本物に何度も何度も泣かされぶっ飛ばされ続け ゆるぎなき真実を学ぶ事となる。
気付けば師匠のライブ後 毎回師匠と酒を交わし直接 人生(唄)(漢)のアドバイス、叱咤激励をいただいている俺がいた。
やがて師匠の舞台に呼ばれ共演までさせていただき......(俺の心境は正直20年早いだったけれど.....あの経験で誰とやってもどんな舞台でも全く緊張しなくなりました。)
師匠はその後 数年後メジャーの舞台に参上していき数々の埋もれていた名作をCDで発表し 人々に命を届けていく事になる!(当たり前だ 馬鹿野郎!!)
俺にとってはそれでも あの時代 生録音した数えきれぬこのカセットテープが「ホームタウン」です。


俺の中での師匠の話 もし興味あったら直接 聞いて欲しい。
山のように大きな人です!!
のっけはやはり我が師「新井英一」しかありえない。
師匠を始めて見たのは1984年のNEW YEAR ROCK FES’(ブラウン管)だった。師匠がその時唄った「狼の挽歌」の 他とは違う物凄いエネルギーに”何だこの人は!”と思い震えた。
それから毎年毎年(年末の)ROCK FES’で師匠が弾き語りで叫ぶ大地(命)の唄に「本物」を叩き込まれていく事になる(だが当時の俺はあくまでもギターリストであり師匠の言霊は聞くだけのみに留めていた)俺だった。
だがやがてそんな俺に転機が訪れる 1989年(11/6)優作さん死去 この時点で自分が唄う事を決意し(魔暖歌 結成)。ギターを鳴らし歌う、唄の難しさ 奥深さに悩みぬく日々が始まる。
そんな最中「1990年(11/4)渋谷ジャンジャン」で師匠が唄う事をピアの片隅で知り何かをつかめたら!とおもい憧れの師匠のライブへ始めて足を運んだ。
そこは悲しすぎる会場だったんだ、俺を入れて3人しかいなかった.....。でも師匠は深く頭を下げ”雨の中ありがとう”と最期まで唄い続けた!!ガラガラの会場でゆるぎなく魂を突き放つ本物の声に「嗚咽が止まらぬ程鳴いた」。BLUESがそこにあった。
そして俺は 師匠のライブに何度も何度も通い続け、同じ体験を重ね、本物に何度も何度も泣かされぶっ飛ばされ続け ゆるぎなき真実を学ぶ事となる。
気付けば師匠のライブ後 毎回師匠と酒を交わし直接 人生(唄)(漢)のアドバイス、叱咤激励をいただいている俺がいた。
やがて師匠の舞台に呼ばれ共演までさせていただき......(俺の心境は正直20年早いだったけれど.....あの経験で誰とやってもどんな舞台でも全く緊張しなくなりました。)
師匠はその後 数年後メジャーの舞台に参上していき数々の埋もれていた名作をCDで発表し 人々に命を届けていく事になる!(当たり前だ 馬鹿野郎!!)
俺にとってはそれでも あの時代 生録音した数えきれぬこのカセットテープが「ホームタウン」です。


俺の中での師匠の話 もし興味あったら直接 聞いて欲しい。
山のように大きな人です!!

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